先日ご紹介した六甲山地・長峰尾根に突き上げる「ハチノス谷」の向かい側に「摩耶東谷」という沢があります。摩耶山の南面を流下する「杣谷」水系の支沢のひとつです。下半分は、何年も前に探索したことがあるのですが、その時は沢登りが目的ではなく、別の場所の踏査のために訪れました。摩耶山上にダイレクトに突き上げる摩耶東谷の上半パートは未踏なので、涼みがてら数名のクライマーたちと遡行してみることにしました。
メジャールートの杣谷から支沢へ
幕末の頃、神戸港開港に向けて外国人勢力とのトラブルを回避するために、西国街道のう回路として作られた「徳川道」の一部である杣谷道。現在はハイカーに人気の定番コースです。その東側の支流であるハチノス谷と、ちょうど同じくらいの位置から西へ分かれていくのが今回遡行する摩耶東谷。
地形図を見たところ、わりと似たような渓相な感じもしますが、長峰山より摩耶山の方が標高が高い分、ハチノス谷より摩耶東谷の方が少し流程は長めかもしれません。杣谷道から分かれてすぐのあたりで堰堤工事が行われているので、しばらくは大きく斜面を高巻きする踏み跡を辿って、渓相がいい感じになってきたところで、やおら入渓の儀。

足回りは各自いろいろです。ラバーソールの水陸両用シューズ、オーソドックスなフェルトソールの沢靴、ベアフットサンダルの「サーチンヒップウォーク」……。 そして、それぞれに好きなラインで遡行していきます。ツヨツヨクライマーは果敢に滝を攻め、それなりの人はそれなりのところから(笑)。

このあたりから摩耶山上へ向かう一般道としては、摩耶東谷の西側の尾根を通る上野道、東側に伸びる山寺尾根などがよく利用されていますが、かつては沢筋を通る人も多かったのか、謎の遺構がいろいろ見つかります。摩耶山天上寺への参道としても利用されていたのかもしれません。

何かの作業拠点だったのか、修行の行場だったのか。古びてはいるものの、何かの痕跡が残されています。古い小屋のすぐ脇には三段の滝があって、たぶん行者滝と呼ばれているものです。私には登れる気がしないのですが、クライマーのお兄さんには登らない選択肢はないみたい。

行者滝の先で少しルートがわかりにくくて、うろうろしたのですが、古い祠のようなものを発見したり、経文が刻まれた岩があったり。未知のルートを探索するのは楽しいです。そして、本流を詰めて行くと、またしても巨大なスリット堰堤が登場。ハチノス谷の堰堤もデカかったけど、コチラの堰堤はまるで城塞のよう。古代遺跡的な雰囲気も漂っています。

スリットの中を通過できるのですが、やはり内部の段差が大きくて、誰かがかけてくれた梯子がなければ登れそうにもありません。先人に感謝しつつ通過します。
実は重要な六甲山にある人工物
六甲山は、崩れやすい風化花崗岩の山なので、土砂災害が起きやすい地質。しかも、人口が密集している都市部に面しているので、防災対策として、砂防や治山は非常に重要なのです。昭和13年に「阪神大水害」という大規模災害が発生。山は崩れ、流れ出した大量の土砂が多くの家屋を押し流し、神戸の街は大きな被害を受けました。
その後、国が直轄で砂防事業に乗り出したという経緯もあって、どの沢を歩いても、必ず砂防堰堤がつきものです。堰堤越えはけっこう大変だし、山の中で人工物に出会うのは通常はあまり歓迎したくないことですが、六甲山の砂防堰堤だけは仕方がないんじゃないかと思います。そして、堰堤がないところは、ワイルドな自然が残されています。
ルートの核心部はコケに覆われた神秘的なゴルジュ
標高450m手前付近で、沢が二股に別れます。このあたりは両側がガケになっていて、深い谷地形、いわゆる「ゴルジュ」になっています。

コケとマメヅタに覆われた巨岩の下を慎重に進んでいきます。岩がごろごろしてて、ちょっと歩きにくい。でも、その先には、都市に隣接する低山とは思えないような神秘的な光景が待っていました。

ゴルジュのパートを過ぎても、まだ滝が続きます。そろそろ源頭部も近いと思うのだけど、清冽な滝の飛沫がとても心地いい。とても涼しくて、マイナスイオンたっぷりな感じに癒されます。

この滝がほぼ最後で、次第に水流も消えていきました。最後は源頭付近の急傾斜を、息を切らせながら登って、山寺尾根から続く一般登山道へと合流。あー、沢は涼しかったな。尾根とはぜんぜん違うな。