ソトラバ

不思議な地名「ハチノス谷」へ! 「巨大スリット堰堤」と連続する滝を越える冒険気分を満喫できる沢

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  • 小滝1
  • 水餃子
  • キノコ
  • 巻き
  • ハチノス大滝
  • 小滝2
  • スリット堰堤上から
  • スリット堰堤
  • 杣谷堰堤下

「小天狗」、「山羊」と、不思議な地名の場所を登ってきたのですが、今回は「ハチ」。摩耶山の東側に長峰尾根という長大な尾根があり、その側壁に「ハチノス谷」という変わった名前の谷があるのです。途中には「ハチノス大滝」という滝もあって、短い沢筋ながら、楽しいプチバリエーションとして知られています。登山口となるのは、「杣谷」コースの入口で、巨大な杣谷堰堤があるところ。

杣谷堰堤下

スタート地点は不遇な歴史を持つ「西国往還付替道」

杣谷道は、摩耶山のやや東、杣谷峠へ突き上げる沢沿いの登山道。小滝がたくさんかかる急な谷なので、六甲山地にたくさんあるカタカナ地名で「カスケードバレイ」とも呼ばれています。じつは、もうひとつ「徳川道」という名前もあります。

徳川幕府末期のこと。


長く鎖国を続けてきたものの、外国勢力から開国を迫られ、横浜に続いて神戸も開港することになったのですが、横浜開港後に起きた「生麦事件」のように、外国の勢力と西国大名がトラブルを起こさないように、神戸の港の近くを通る西国街道の迂回路を山の中に作ることになりました。

六甲山地の西側で本街道と分かれ、山中を縦走するように迂回し、港町をすぎたこのあたりで海沿いの街道に戻るというルートで、「西国往還付替道」と名付けられました。道普請は開港に間に合わせるため非常に急いで行われ、全長34kmもの山道を、わずか1カ月の突貫工事で仕上げたのだそうです。

ところが、そうこうするうちに鳥羽伏見の戦いが起きて、将軍・徳川慶喜は江戸へ向けて敗走、265年続いた徳川幕府は倒れました。兵庫奉行も任地を離れて江戸へ撤収を命じられ、必死の突貫工事で作られたこの道が完成したことは、公示されませんでした。

そして、新政府の命によって東へ向かって進軍してきた備前藩の一行が、神戸を通過しようとしたときに、隊列の前を横切った外国船の兵と争いとなって「神戸事件」が勃発。結局、公式には一度も使われることのなかった不遇な道で、のちに「徳川道」と呼ばれるようになったのですが、ココを通るたびにその切ない歴史が思い出されます。今回は、その杣谷道の途中から支沢のひとつである「ハチノス谷」へ入ります。

まずはそそりたつ巨大堰堤を越える!

六甲山地は、土砂災害を起こしやすい地質で、山麓には市街地が広がっているため、防災のための堰堤がたくさんあります。いろんなタイプの堰堤があるのですが、ここで行く手を阻むように屹立しているのは「スリット堰堤」。通常は堰堤の脇を高巻きして越えることが多いのですが、このタイプは中心にスリットがあいているので、そこを通過します。

スリット堰堤

堰堤内部に数段の段差があって、これが意外と高くて登るのが大変。でも、誰か親切な人が、ステップになる石を置いてくれていたので、チビッ子でもなんとかよじ登ることができました。ありがとう!

スリット堰堤上から