【書評】「衝撃のアウトドア本」発掘レビュー! STRANGE OUTDOORE BOOK vol.04『九十九島全島図鑑 西海国立公園』

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  • 『海国立公園 九十九島全島図鑑』
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島好きさんが狂喜する島だらけの島図鑑

今回ご紹介するのは『九十九島全島図鑑 西海国立公園』。「九十九島」と書いて「くじゅうくしま」と読む。長崎県西部の西海国立公園にある群島のことだ。99も島があるのか! と一瞬目を見張るが、驚くのはまだ早い。元々、九十九島は公式見解では208島あるというのが定説で、なんとこの本ではさらに増え、216島もの島が掲載されている。

九十九島は3つのエリアに分かれており、南九十九島には81、中九十九島には59、北九十九島には76もの島がある。つまり合計すると216島となるわけで、まったく99島どころの騒ぎではないのだ。

九十九という言葉は、入江の多さを表す「九十九湾(つくもわん)」や白髪頭で長生きの意味がある「九十九髪(つくもがみ)」、何度も折れ曲がる山道「九十九折(つづらおり)」というように、数の多さを意味している。だから九十九島も「とにかく島がたくさんあるところ」と理解しておけばよいだろう。

「全島図鑑」と言うだけあって、本書は大半のページをすべての島の解説に費やしている。前述したように「南九十九島」「中九十九島」「北九十九島」の3部構成で、それぞれにマップがついているので各エリアの島を一覧で見ることができるほか、各島の名称、全景写真、地形図が掲載され、土地の特徴なども知ることができる。

これが216島分、延々と続く。めくれどめくれど島。もう取りつく島もない。島だけど。

この本の著者である澤恵二氏は、九十九島シーカヤッククラブの初代代表となった人で、この216島は九十九島の全島を独自に調査した結果の数だ。

まさに九十九島の島々を網羅した「全島図鑑」なわけである。

しかし、そもそもこの本はどういった人のために存在するものなのか? 観光で九十九島を訪れたい人は、もっと一般的な旅行ガイドブックを選ぶだろう。場所を問わず純粋な島好き……そんな人いるかな? いや、いるだろうね。そういう人にはピッタリかもしれない。「この世にマニアがいないものはない」が自論のぼくとしては、島マニアの存在も信じている。

以前、登山好きの友人に「とみちゃんも〝山〟やんない?」と誘われたことがある。あいにく痛風持ちで、いつ足の関節が炎症を起こしてもおかしくないぼくは遠慮しておいた。山の中で発作が出たら下山できなくなっちゃうからね。

仮に健康だったとしても、ぼくは日本全国のブックオフの全踏破を目指すような人間だ。もし登山なんかに興味を抱いてしまったら、景色を楽しむためとか、健康のためとかではなく、絶対に「日本百名山・登り潰し」的なスタンプラリーを始めてしまうだろう。ぼくにとっての頂点は、各山の頂上にあるのではなく、100の名山を登り潰した瞬間にあるからだ。

はっ! もしかしてこの本は、そういう人のためのもの……?

ぼくがもっとも九十九島の近くまで行った瞬間

ここで肝心の九十九島とはとくに関係のない話をさせてもらおう。

ぼく自身は東京の下町育ちなので、島的なものとは無縁に生きてきた。晴海とか幕張の埋立地にはよく遊びに行ったが、一般的にあれを島とは呼ばない。ゴミの埋立処分場として使われていた夢の島も、いまはすっかりきれいな公園になったようだが、昭和の子供だったぼくはいまだに「ハエの天国」のイメージが抜けない。

大人になってからは、旅好きの友達と連れ立って佐渡島を一周したことがある。まだ最後の朱鷺(トキ)が一羽だけ飼育されていたときで、朱鷺と金山の跡地と美味い地酒が目当ての旅だった。美しい海の景色にはまるで興味がない人間。

さらに数年後、ゲーム『桃太郎電鉄』の攻略本を作るための取材で、桃太郎のご当地・岡山県と、鬼ヶ島と呼ばれている女木島(めぎじま)を訪れた。島内には鬼ヶ島大洞窟という巨大な洞窟があり、鬼がいたらどうしようと恐る恐る暗がりの中に入って行ったら、中は蛍光灯で煌々と照らされていた。

それからさらに年月が経ち、いつの間にか『桃鉄』のゲームそのものを作る立場になっていたぼくは、ある年の新作の取材で対馬に渡ったことがある。博多港からジェットフォイル(高速船)で2時間15分。海の天気は変わりやすいというけれど、このときも対馬の厳原港(いづはらこう)に着くまでに空が晴れたり雨が降ったりを3回くらい繰り返してたな。

取材の目的は対馬の「石焼き料理」「対馬とんちゃん」「対州そば」といった名物料理を実食することだったけど、結局このときの『桃鉄』は開発中止になって、取材の成果が日の目を見ることはなかった。でも、いま思えばこのときが、ぼくがもっとも九十九島の近くまで行った瞬間だったといえる。

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