アウトドアメーカー列伝【vol.01】「あそび心」を自社の技術力で実現する! 青森発のアウトドアブランド「フェニックスライズ」

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かつては辞表を提出したことも⁉︎ 衝突ばかりの専務時代

キャンプ用品という分野に飛び出し、好調に進んできたサンライズエンジニアリング。

しかし、そもそもこのキャンプギアを高い品質ですぐに再現できるという状況は、一朝一夕でできあがったわけではありません。この分野に踏み出すまでには赤坂さんの並々ならぬ苦労がありました。

サンライズエンジニアリングは、赤坂太樹さんの父である己治奥(きちお)さんが立ち上げた会社で、自動車関連、家電、医療機器などの金型製作や部品製造が主な業務。二代目となる赤坂さんは、高校を卒業後、会社を継ぐべく工業系の大学へと進みましたが、最初は本意ではなかったといいます。

「私は絵が得意だったので、美術系の大学に行こうと思っていました。しかし、ちょうどその頃に父が独立してサンライズを立ち上げ、継いでほしいと遠回しにいうものですから、八戸市の工業大学に進むことにしました」

その後は、今のサンライズエンジニアリングにないものを学ぶべく、大規模な別会社に就職し、板金加工や精密プレスなどの業務を一通り経験。5年間の修業期間を経て、2003年にサンライズエンジニアリングに入社しました。しかし、もともと大手の会社にいたため、当初は自社の環境を見て唖然としたそうです。

「とにかくはちゃめちゃでした。しっかりしたルールもなくて、朝礼すらない。たばこを吸いながら働いていた社員もいるし、納期を管理してる人がいないものだから、ギリギリになって明日納期だった! と言って慌てる始末です」

当時専務として入った赤坂さんは、この状況を改善するべく、仕事に関するルールをいくつも定めました。しかし従来とは異なるやり方には反発も多く、親や従業員の先輩とも衝突が絶えなかったのだといいます。

「本当に大変でした。親にも、うるさいから専務の言うことは聞くな、と言われるし……。衝突ばかりで、2回くらい辞表を出しましたよ」

父である己治奥さんは背中で語るような職人で、赤坂さんとは真逆のタイプ。意見の食い違いはあるようでしたが、赤坂さんは真摯に訴えかけ、徐々に会社の体制も変わってきたのだといいます。

2代目社長に就任! 会社の今後を考える

今後の会社の方向性について本格的に考えはじめたのは、代替りで社長に就任した時のこと。事業も軌道に乗り、ものづくりも好きだった赤坂さんですが、「親のやってきたことを忠実に広げていくだけでいいのか」「自分の色も出していきたい」と悩んでいたのだといいます。

また、自社の方向性だけではなく、「若手の育成」にも頭を悩ませていました。

「いいところでやめちゃうんですよね。簡単なことからしてもらって、成功体験を味わえたらいいんですけど……。ものづくりの基礎を教えるには何を作ってもらうのがいいのか、考えていました」

そんなときにちょうど、赤坂さんにできた新しい趣味がキャンプでした。ちょうど製造の経験も十分になり、人脈が増えてきたところで、新規事業に乗り出すのにもぴったりの時期。

そしてこの「キャンプ用品」という新たな分野が、驚くほど赤坂さんの悩みにさくさくとはまっていったのです。

まず、キャンプ用品という新しい事業は赤坂さんの「自分の色」を出すことにつながりました。加えてギアの設計という作業は、もともと美術が好きだった赤坂さんにとっての天職でもありました。

「フェニックスライズの商品は、機能面はもちろんですが、デザイン性にもこだわって作っています。縦型の薪ストーブは、火がどう見えるか、を意識しながらイラストに起こすと自然にああいう形になりましたね」

フェニックスライズのギアは洗練されたデザインであることでも有名。しかしまさか社長自身の手で設計しているとは思わないので、「工業デザイナーは誰に頼んでいるのか?」とよく聞かれるのだそうです。

また、キャンプギアの製造は、若い社員の適職でもあったといいます。

「キャンプ用品は、金型よりも比較的簡単に作ることができるので、ものづくりの基礎を覚えてもらうのにちょうどよかったんです。しかも使った人たちが感想をくれたりもするから、やりがいにも繋がったのだと思います。お客さんの顔を思い浮かべながら作ると、楽しいですからね。」

キャンパーのよろこぶ声やその顔が直接見えてくると、製作者としてはうれしいもの。お客さんとの距離が近くなったことで、社員みんなが「もっとがんばろう!」と思うことができたのです。

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