秀麗富嶽十二景はいつ、誰が、どのように選定したか⁉︎ 選定にまつわる秘話とは

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  • 秀麗富嶽のイメージ
  • 絶景富士山に会える日帰り低山20のカバー
  • 優れた景観環境「秀麗富嶽十二景」の論文
  • 秀麗富嶽十二景山頂の地図

その山頂から望む富士山の美しさに魅了され、多くの登山者が山梨県・大月市を中心とした東部山域に足繁く通う「秀麗富嶽十二景」と呼ばれる山々があります。なかには標高550mという里山クラスの山もありますが、概ね1000mから1500mクラスの低山で、十二景として選定されている山は全20座あります。年間を通じて秀麗なる富士山の眺望を楽しめる低山の魅力をシリーズでご紹介します。

◆「優れた景観環境 秀麗富嶽十二景」という報告書の存在

秀麗富嶽十二景は大月市域の山頂から望む美しい富士山を市のシンボルとし、併せて故郷の自然をそのまま後世に伝えようと意図して選定され、平成4年(1992年)に公布されました。十二景と銘打たれ、1番山頂から12番山頂までで全20座になります。トータルで12座ではない理由は一部の番号山頂に複数の山が並列で選定されているためです。

日本百名山に決して劣らない詩的で秀逸な名称の秀麗富嶽十二景の誕生秘話を探るべく、大月市に問い合わせました。数少ない資料の中からひとつの報告書「優れた景観環境 秀麗富嶽十二景」という文献から、その経緯を探ることができました。

◆地質学と地形学の観点から定義された秀麗富嶽十二景

報告書をまとめたのは当時の市立大月短期大学で教鞭をとった田中 収教授で、地質学や地形学の観点から「大月市周辺から見る富士山がもっとも美しい」との見解を示していたそうです。教授によると富士山に前山が重なり、まるで十二単をまとったような美しさを見せてくれることから「秀麗富嶽十二景」と命名。大月市も「秀麗富嶽十二景」を活用した地域活性化を目指すとともに、故郷の自然をそのまま後世に伝えようと同教授を中心として、昭和63年(1988年)度から選定に入り、平成元年度に選定を終えました。

優れた景観環境「秀麗富嶽十二景」の論文

その記録をまとめたのが1991年に提出された報告書の「優れた景観環境 秀麗富嶽十二景」です。選定には田中教授に加えて北巨摩教育事務所、地域資源学術調査委員の方々などが参加されたそうです。

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